英語は現在、世界の共通言語になっています。
英語は ASEAN の公用語ですし、EU でも重要な役割をはたしています。ただし、英語の国際的普及は、アメリカ英語やイギリス英語がそのままのかたちで国際的に受容されたことを意味するのではありません。世界の人びとは自国の言語・文化を組み込こみ、実にさまざまな英語を使っているのです。
専門家はこの姿を世界諸英語( World Englishes )、またはグローバル諸英語( Global Englishes)と呼んでいます。現代英語は複数形の似合う言語なのです。これは、英語の話し手は母語話者も、非母語話者も、各国の英語は同等の価値を有するという認識に基づいています。なお、ここでは日本語の言いやすさから、世界諸英語とします。
日本では、このような英語観はまだ十分に理解されていません。学校やビジネスでも、英語はアメリカ人やイギリス人のことばと考えられ、その規範に同化することが求められています。ここでは、英語を複数形でとらえる論理を提示して、グローバルなレベルで展開する世界諸英語の一例を参考に、それに対する日本人の対応について考えたいと思います。
日本のビジネスピープルは世界の人びとと交流するなかで、いろいろな英語に出くわします。
たいがいは、話し手の母語や国語の影響を受けたもので、ネイティブスピーカーの英語とはかなり違います。私たちはこれを否定的にとらえるのは適切ではありません。そんなことをすれば、お互いの自尊心を傷つけるだけです。世界の多くの人びとは自国で、自国の言語文化のなかで英語を学習します。ですから、お国なまりの英語を話すようになります。これはごく当然のことで、グローバル英語の特徴なのです。バイリンガルの証拠でもあるのです。私たちは仕事やビジネスでこのことをしっかりと認識して、自由に、そして積極的に英語を使いこなす気概をもちたいものです。
以下に、発音、語彙、文法の例をいくつかあげましょう。
英語の発音で最も特徴的なものは、think などにある[θ]でしょう。日本人をはじめ、多くの人びとはこれを[s]で代用しています。I think so.のことを I sink so.と言うと、「そう沈みます」と誤解されると言われることがありますが、誤解されたケースは聞いたことがありません。もしかしたら、[s]という人は多数派かもしれません。引け目を感じる必要はありません。
また、[f]を使う人たちも、たくさんいます。ロンドンでも、three を free と言う人がいます。コミュニケーションに支障をきたすことは、まずないでしょう。もともと母語話者の英語のなかには、sun(太陽)と son(息子)、air(空気)と heir(相続人)、cue(合図) とqueue(列)のような同音異義語は、かなりあります。実は、[θ]と[f]は、なかなか聞き分けできません。
さらに、多くの国の人びと、[θ]を[t]と発音します。興味深いことに、国際民間航空機関(ICAO)が定めた航空英語(Airspeak)では、パイロットと管制官とのコミュニケーションで、ネイティブもノンネイティブも、three は tree、thousand はタウザンドのように発音するものとされています。
世界各地で広まっている英語の語彙は、各地の言語の単語がそのまま英語として使われることにより、拡大します。アジアでは、日本語の koban(交番)、中国語の guanxi(関係)、マレー語の makan(食べる)、ヒンディー語の ayurbeda(治療と長寿の術)などなどです。面子(face)のように、英語に言い換えられると、他の語との組み合わせを誘い、表現は拡大します。
アジアでは、face は respect(敬意)、prestige(名声)、pride(誇り)、honor(名誉)、integrity(高潔)、さらには identity(自己)などを表わす概念として、広くいきわたっています。そのために、面子表現は実に多彩です。次は中国語の影響の濃いマレーシア・シンガポール英語の例です。
例1.You failed again.... I don’t know where to hide my face.(またしくじったの。もう穴があったら入りたいよ)
例2.Why did you do that to me? I got no face now.(どうしてそんなことをしてくれたの。私の面子は丸潰れじゃないの)
例3.You must go to his son’s wedding dinner. You must give him face.(彼の息子の結婚式には出席しなさいよ。彼の顔を立ててあげなさい)
例4.Since I don’t know where to put my face in this company, I might as well leave and save what little face I have left.(会社のみんなに合せる顔がないので、退職したほうがよいかも、このままでは面目丸潰れです)
これらの語句はイギリス英語やアメリカ英語では使用されていませんが、けっして間違いなどではありません。これらはシンガポールやマレーシアの社会で有用であるならば、必ずそこに深く根付いていくでしょう。これは英語の「再文化化」と呼ばれています。すなわち、英語の「文化化」を促す重要なプロセスなのです。
世界中で使われている英語には、文法の面でも、微妙な変容がみられます。それは特に話しことばの特徴と思われがちですが、実は書きことばにもみられます。それらは、話し手や書き手の母語の構造や傾向が、彼らの英語のなかに転移したものなので、転移特徴と呼ばれます。干渉などと否定的にとらえてはいけません。
アジア・アフリカでは繰り返し語法がポピュラーです。これは繰り返すことによって、副詞的な意味合いを付加します。日本語の「少々」、「近々」、「(ウソが)見え見え」などに、その特徴がうかがわれます。シンガポールやマレーシアでは、こんな言い方をよく耳にします。
例1.Can we come together? Can can.(入国審査官。「もちろんけっこうです」)
例2.I horned, I horned, but they didn’t move.(タクシーの運転手。「警笛を何度も何度も鳴らした」)
このような語法は、アメリカ英語や一般英語で使われる win-win relation(両方とも勝利する関係)とは、異なることに注意しましょう。win-win は、you win and I win.を省略したものです。アメリカ英語には、”lose-lose” situation(両方とも敗北を喫する状況)というのもあります。
注意すべきことに、シンガポールやマレーシアの学校で、こういった英語を教えているわけではありません。しかし、これらの国々では、英語は国内言語にもなっており、人びとは現地言語の用法を英語に持ち込み、独自の英語パターンを創造しています。それは彼らにとって使いやすい英語であり、シンガポール人(マレーシア人)らしさを表す英語なのです。
このように、英語は母語話者の垣根を越え、非母語話者の手に渡りました。これは次のことを意味します。すなわち、すべての言語において、母語話者が開発してきた部分は非常に限られた範囲です(図1参照)。英語がノンネイティブスピーカーの口にのぼると、彼らは独自の言語・文化・認知のシステムを利用して、ネイティブスピーカーが運用してこなかった語法を探求しはじめます。
たとえば、シンガポール英語やマレーシア英語は、もちろんネイティブスピーカーの英語と多くの部分が共通していますが、Wait here, lah.(ここで待ってね)に代表されるような、文や語の最後に付加する接尾辞をたくさん使用します。これらは日本語の終助詞(「ね」「よ」「さ」)に相当し、いろいろと微妙な意味合いを表現します。
つまり、英語の話し手のエトス(文化的特質)を反映するのです。「私は英語を話しますが、イギリス人ではありません。シンガポール人(マレーシア人)です」といったメッセージを伝達しているのでしょう。日本人も、独特の小辞を付加することがあります。I like sushi-ne.や Oh, I like tempura-yo.といった具合です。日本では、外国人の英語スピーカーも日本人とのコミュニケーションのなかで、これらをけっこう使っています。「私は日本人の英語の言い方を理解しています」の意味が込められているのかもしれません。
アフリカ英語も、たくさんの語彙や文法の創造によって、英語を豊かなものにしています。これらも、ネイティブスピーカーの英語と多くの共通点をもっていますが、同時に、他のノンネイティブスピーカーの英語とも接点をもっています。例えば、シンガポール英語やマレーシア英語などに見られる繰り返し語法です。 アフリカ英語で、They blamed him, they blamed him.と繰り返して言うと、「彼らは何度も、厳しく彼を叱った」という意味になります。アフリカ英語では、シンガポール英語 やマレーシア英語と同様に、繰り返しは副詞的意味合いを付加します。文化によっては、「何度も、激しく」のような直接的な言い方は礼儀に欠けるので、独自の言い方で言いにくいことを表現するのです。
英語のグローバル化はこの新展開にさらに拍車をかけます。アジアでは、人びとは英語を活用すると同時に、その音声、語彙、文法、意味、そしてプラグマティクスの面で、新しい次元を開発しています。私たちは英語をアジアの文化的状況のなかで使っているのです。このために、英語は脱英米化の傾向をおびています。(図 2 参照)
事実、英語はアジアで多文化化しています。アジアのさまざまな国の言語と文化が、それぞれの英語に反映されるのです。各国は独自の英語パターンが発達しているか、あるいはそれが発達する途上にあるといえます。アジアで英語を使用するさいには、アメリカ文化やイギリス文化はあまり重要な役割を果たしません。このことは、世界の各地についていえます。
そこで、企業や学校の英語学習と英語教育で「文化」を扱うさいには、注意が必要になります。「英語の文化」は「アメリカの文化」や「イギリスの文化」ではありません。世界のすべての文化を指すのです。ですから、いろいろな文化、コミュニケーションスタイル、言い方に興味をもつことがたいせつです。それが英語学習の進歩につながります。
私たちは従来、共通語とは「画一・一様」と思い込んでいました。しかし、よく考えてみると、多様な言い方が容認されなければ、共通語の機能を果たせません。だれもが、いつでも、どこでも同じように話すということは、不自然極まりないことでしょう。ですから、母語話者も非母語話者もまずお互いに、いろいろな英語の違いを認め合う、寛容な態度が求められるのです。私たちはこのような見方を十分に理解して、実践すべきでしょう。インド人や中国人と交流するならば、彼らの英語、文化、コミュニケーションスタイルに興味をもつことが求められます。アメリカ人やイギリス人の英語と違うから、間違いとか、不正確と考えるのは現実的ではありません。そのような態度では、コミュニケーションはうまくいくはずがありません。
本名信行『国際言語としての英語 文化を超えた伝え合い』(2013)富山房インターナショナル。